母の日とメンヘラができるまで。
おはようございます。母の日です。
今年は印鑑ケースが欲しいと言っていたので明日にでも買いにいってあげようと思っています。
まぁニートなのでお母さんからもらったお小遣いから買うんですけど!!!
私とお母さんはそれなりにいい関係を築けてると思います。
この年になってもまだ二人で遊園地に行ったりだとか花見に行ったりだとか。
お母さんは私のことを大好きなので、私に彼氏ができたりをあまり良く思ってなくてよく彼氏をお説教していじめたり毒親気質なところがあったりします。
一時期はそれをうざく感じたこともありましたけど今ではそれだけ大切にしてくれてるんだな、と思うようになりました。
なかなか不器用な親子ですが楽しく暮らしてます。
おっと?今回のブログはほっこりいくのか???
そうはいきません🐰(?)
何事にも原因や理由があるわけで
私がメンヘラになったのも原因や理由があるはず。
今さら誰かのせいにしようとは思いませんが、きっかけとなったのは子供の頃の家族関係かなぁと思ってます。
ここから私のクッソしょうもない生い立ちを語るので眠れない夜とかに読んでください、クッソつまらんくて眠くなります。
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1999年、ノストラダムスの大予言とともにとても鬱々メンヘラちゃん生誕。
少し体は弱かったものの両親と、母方の祖父母の実家の二世帯住居ですくすく育ちました。
私の父は前嫁との間に子供がいるのでそうでもないですが、母方の家系には初めての子供だったので母も祖父母も私のことをすっごく可愛がってくれていました。
こうみえて子供の頃はメチャクチャ可愛くて子役をやっていました。
ヒエッ…かわゆい…
これは甘やかしてしまいますね、その結果こんなクズが出来上がりますよ^_^
さらっと触れましたが私の父親、なかなかのクソでバツ4とかで今また違う人と結婚してます。
50にもなっていまだにバンドを本職にしていて
夢を捨てきれないおっさんが父親なのがダサくて恥ずかしくて嫌いです。
この父親、借金して横領して他に女作って逃げました。私が小学校に入学した直後でした。
元々出張ばかりで家にほとんど帰ってきていなかったし6歳でよくわかっていなかったから「パパもう帰ってこないの」と言われてもあまり悲しくなかったのを覚えてます。
それよりも悲しんでるお母さんを見るほうが苦しかったなぁ。
そんなこんなで母親との二人暮らしがはじまりました。
私はお母さんが大好きで大好きで離れられなかったです。
なによりもお母さんが支えでお母さんも私を愛してくれてると思って二人で生きていくんだ、と思ってました。
思ってたのにある日それが崩れるんですね
お母さんに彼氏が出来たんです、小学5年生の頃でした。
約5年間お母さんと二人で暮らしてきた私からしたら大問題で
「え!?!?ちょ!?!?え!?!?ママ!?!?わたしっ…えっ…!?!?」
という感じで。
いやいやここにきて彼氏!?今!?
というかんじで。
でも子供なりにお母さんの幸せを邪魔しちゃいけないって思って、不満は言えなかった。
もっと私にかまってほしいなんて言えなかったんですよ。
でも正直お母さんと同い年(当時42歳)のおっさんになつけ!と言われてもかなり厳しい、普通にシンプルに気持ちわるいという気持ち…
ましてや思春期真っ盛りの小学校高学年の私には苦痛で仕方がなくて
母と出かけたくてもそのおっさんがついてくるので自然と母親と出かけることもなくなりました。
休日は私だけ家で留守番だったし夜は3時くらいまで彼氏の家に行ってるから晩御飯も一人で食べたし一人でお風呂に入って一人で寝てたし。
高学年とはいえめちゃくちゃ寂しいんですよ、寂しいし私を置いて男と会ってる女の母親が気持ち悪くて気持ち悪くてお母さんも嫌いでした。
そこで寂しい生活を紛らわすためにSNSをはじめました。中1くらいです。
そこでネットの彼氏を作りました
毎日電話して愛してるよってメールして中1の私はそれで寂しさを埋めてたんですね。
母親にバレて携帯逆パカされて終わりましたけど。
終わりというのはあっけないです。
この頃からボールペンで手をぶっ指して自傷してました。
でも中学で友達ができはじめて学校が楽しくなってきて、ネットなんかなくても楽しいわ!友達と遊んだり部活したり楽しいわ!!と超ド健全JCを取り戻した矢先
「家族喧嘩したし結婚するから福岡(彼氏の地元)行くわ^_^」
こうして楽しいJCライフも終わりました。
終わりというのはあっけないです。
祖父の遺産を巡った家族喧嘩、彼氏との結婚を理由に福岡に強制送還されます。
初めて訪れる地で0からのスタート
「なんしようと?今日バリ暑いっちゃんw」
この人達なに言ってるんだろう…?ていうか外暑ゥ!!
人柄も方言も土地柄も気候もなにもかも違いすぎて
JCライフを取り戻すことはできませんでした。
一人だけ私にすごくよくしてくれる友達がいてなんとか学校生活はやっていけましたが
家に帰ると地獄のはじまり。
気持ち悪いおっさんがお出迎えしてくれるワンダーランド(死)
お風呂なんて死活問題でした
後に入ればおっさんの浸かったお湯に浸からなければならない
先に入れば私の浸かったお湯におっさんが後から浸かる
哲学。
結果私は2年近く湯船に浸からずシャワーで済ませました。
できるだけおっさんと顔を合わせないため、夕食と風呂以外は自室にこもりました。
自室でなにをするか
インターネットですね。
恐ろしき黒歴史ですが中学生の半分以上は部屋にこもってニコニコ生放送を見てすごしました。
そこで趣味程度に放送していたフリーター(23歳)と出会い、幼き私は恋しました。
好きだったから会いに来てもらってオフパコしました。中学3年生、私の初体験です。
夢も希望もねえなまじで。
もちろん1ヶ月くらいでフラれるんですけどね。
初恋に盛大に敗れたのに加えて、お母さんが彼氏とうまくいかなくなり地元に帰ると宣告。
おいおいおい勘弁してくれ?こちとらようやく博多弁喋れるようになったんやぞ???
私はここですべてがイヤになり剃刀を握りしめ手首に降りおろしました。
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結局このあと地元に帰り現在に至るわけですが
思春期に過ごせなかった時間を埋めるように現在は二人で出かけたり楽しく暮らしてます。
もしもあのときお父さんがでていかなかったら
もしもあのときお母さんに彼氏ができていなかったら
もしもあのときネットにはまらなければ
キラキラパリピJK になって今頃スタバでTwitterをしているのでしょうか。
スタバなう(爆笑)
おわり。